どうでもよい話をいくつか

1.子供たち3人の誕生年は3人とも素数で、しかも、3つ子素数のようだ。

2.私が鼻歌を歌うとき、「てぃーーたりろれてぃーろてぃろ」とか歌うんだけど、実は、それは階名「ドレミファソラシド」の子音をTかLにかえたものらしいことが判明。自分では知らなかったが、ひいこがずっと昔から気づいたらしい。音を切りたいときはT、スラーのときはLを使っている模様。さて、上の曲はな〜んだ。
私は絶対音感はないので、いつも移動ドで歌う。ピアノを弾くとき、ハ長調以外では、弾いている音と頭の中の音は違っている。「ドレミ」で歌うと、このギャップが気持ち悪いので「トレリ」となるようである。転調が多くてよくわからない曲も、そのときの気分で適当なドをつかうが、半音階下降などはしょうがないので、タラララになるみたい。
ちなみに、ひいこは、プラスマイナス半音くらいの精度で、絶対音感があるようだ。バロックの曲を昔風に半音低い調整で弾いていたので(A=415Hz)、その影響で半音が聞き分けられなくなったのではないかと。

ぶっちゃけた話だが。

日本のどこかの飲み会で、酔っ払ったときに、「自分はCNS(Cell,Nature,Scienceの科学雑誌御三家)にのるような研究がしたいし、そういうテーマを選びたい。」と言ったことがある気がする。これは、かなりぶっちゃけた意見というふうに取られたかもしれない。

サイエンスをゲーム的に考えれば、今のサイエンス業界、特に生物系では、出世も、グラントも、過去に出した雑誌の「格」でかなりの部分が決まる、という状態であるからして、科学雑誌の中でも最高峰であるこれらの雑誌を目指すのは当然のことだろう。雑誌の「格」というのも、実際、トムソンロイターという会社がまとめる「インパクトファクター」という数字で決定されるわけで、いろいろとこの指標について問題が指摘されてはいるものの、しばらくは、これがサイエンスを動かすことになる。それが、ゲームのルールならば、それに「勝つ」ことを目指す、というわけか。

否。実際のところ、それが本当の目標でもないだろう。はじめてNatureを出した論文の発見は、F1-ATPaseの回転であったが、これは、「まさか無理だろう」という実験を、ためしにやってみたら、本当に分子の回転が見えてしまったものだ。初めて実験が成功した瞬間の感動は15年ちかくたった今でも忘れられないし、それに匹敵するような感動はいまだにやってきていない。当時学生だったら、本当に世界で始めて分子の回転をみた人間になることができたけど、PIになった今、おそらくあんなことは一生ないのかもしれないなあ〜とは思う。結局、サイエンスをやっててよかった、という瞬間って、「この発見は世の中を変える」と感じた瞬間だよな〜。結果的には、そういうのがCNSにのるって、ことか。

しかし、だんだん私もすれてきて、というか自分が実験していないからしょうがないんだけど、「この発見はCNSにのる」っていう大人びた(?)興奮のしかたをするようになったのは確か。そして次に思うのは、「これでR01のRenewalは楽勝か」。「次のHHMIのCompetitionは、いけそうだな」とか。。。。う〜ん、大人になるってつまらないことだな。

総説論文

普段Submitしない雑誌(British Journal of Pharmacology)から頼まれたInvited review、大学院生のMP君と書いていたが、無事Minor revisionで出版できそうだ。ちょっとしたタイミングのずれで、他の雑誌の依頼を断ってこの雑誌に出すことになってしまった。薬学系の雑誌なので、そちら方面に重点を置いて書いてみた。読み直してみると、意外とよい出来かもしれない。あと2つ、引き受けた総説があるので、とっとと仕上げてしまわなければ。

2011年!

2003年以来の素数の年。次は2017年。みんなによいことがありますように。

昨年のハイライトはやはり年末のNatureアクセプトか。M君の4年ちかい努力が実った形となった。M君おめでとう!

今年は、家族と日本で年末、年始をすごしている。友人のいる某製薬会社でのトーク+筑波観光からはじまり、鎌倉や浅草、松本などを観光して、ちょっと懐かしい日本を味わった。まもなくアメリカに帰るがなかなか楽しい旅行だった。

アクセプト!

Nature誌に送っていた論文、一人のReviewerが問題になっている話はすでに書いたが、そのあと2日くらいで、とりあえず「こんなかんじでReviseしようかと思います。エディターさんはどう思いますか?」というメールをエディターに送る。メールにはPreliminary rebuttalも添付した。基本的には、新たに要求された実験のほとんどは、この論文では「不要であり、Unreasonableである」という理由を書いたもの。できれば電話会議もしたい、という旨も。私もかなり頭に血がのぼっていて、気持ちをなんとか抑えたつもりだったのだが、後で見たらタイポがずいぶん多かった。書いた後に、「攻撃的かな?」と思われる文章を全部消したので、つながりもちょっと変だったかもしれない。

しかし、さらに数日後にエディターから、論文のアクセプト(Accept in priciple)の手紙が届いた。どうやら、PositiveだったほかのReviewerとすでに相談していたようだ。ある程度の戦いを覚悟していただけに、ちょっと拍子抜けだったが、ほっとした。わがラボから、2報目のNature論文が、ほぼ確定したわけだ。うちらにとって、すばらしいクリスマスプレゼントとなった。

生物学、というかほとんどのサイエンスで、「100%確実であることを証明」ということは不可能で、追加実験を重ねていけば、たしかにその分ある程度は確実度はあっていくのだが、ある程度以上はSaturateしてしまい、それほど論文のQualityが上がるわけではない。どちらかというと、まったく別の手法をつかった別の論文で検証したほうがよいことも多いだろう。

もうちょっと!

Reviseに出したネーチャー誌の論文。結果が返ってきて、もう1回Reviseをしなければならない模様。Reviewer3人中二人は完全に合格で、相手はあと一人!しかし、この最後の相手は強敵で、さらに多くの追加実験を要求。一度Reviseし、Reviwerのすべての指摘に丁寧に答えたのに、さらにこれだけ追加実験を要求するのは、リーズナブルではない。こちらは、新しい技術で非常に難しい実験をやっているのに、追加実験をそうぽんぽんと気楽に出されては、かなわない。Reviwerにとっては一言でも、こちらは何ヶ月もかかるわけで。。。このへんの雑誌でありがちな、Endless追加実験のわななのだが、ここはきちんと反論しなければならないかもしれない。幸いEditorは味方なよう。。。Editorと相談して、Reviseの方針を決める予定。

Submitしてから、もうすぐ一年がたとうとする。もう口頭では発表しまくっているので、みんな「いったいいつ出るんだ?」と聞いてくる。NatureはもうLetter形式の論文をやめるべきだと思う。速報の意味が全然ない。いくつかのSupplementary dataは、普通ならぜひメインにいれたい重要なデータだし。

サイエンスは経済とともに動く。

経済が収縮すれば、サイエンス業界も影響は免れない。そして重要なことは、業界の「幸せ度」は、絶対的な金額ではなくて、金額の傾きに比例するということ。アメリカでも一時期サイエンスへの予算が倍になったことがあり、それにともなってサイエンティストもど〜んと増えた。でもその予算を維持できずに、減らす方向になると、(新しい)職はなくなるしグラントもとれなくなる。絶対的な金額では昔よりもはるかに多くの予算がつけられているにもかかわらず、不幸な人の割合が増える。予算を永遠に増やし続けることが出来ない以上、こういう時期は必ずやってくる。アメリカや日本なら、それは今、ということになる。経済が不調なときに、今の研究者人口を維持しなければならない明確な根拠は無いと思う。とばっちりは若手のほうにきやすいのが問題なのだが。幸いなことに、NIHは問題に気がついていて、K99やR01の新規グラントシステムなど、若手にもチャンスがくるようにしている。(そうなると、今度はPIから5−10年あたりが難しくなるという問題もあるが)。

経済が不調なときに、研究者個人にできることは、業績をだして、常に上位にいることを目指す、ということくらいであろう。グラントも、Top5%がきられることは当分ないだろうし。Fund raisingをするのは大事なことではあるが、実際のところ、グラントを取ってくる以上のことはできない。多額の寄付をとってくるような話は研究所単位の仕事だし、そういうことができる研究所を目指す、というのが研究者の選択ということになる。NIHの予算を増やすのは、NIHの仕事かな?研究所だって、多くの業績を出してくれる研究者がいたほうが、Fund raisingしやすいにきまっている。

世界の研究情勢で、もう1つ重要なファクターがアジア。最近の中国やシンガポールのように、経済が好調で重点的にサイエンスに予算をあげているところに、アメリカで業績をあげた研究者たちが流れている。Duke神経学科からも、オーガスティンが韓国に、パーバスはシンガポールに移った。まさに、サイエンスは、経済とともに動く、いうわけ。