はやりものの読書とテレビ

昨日の夕食は、弘子がはりきって作ってくれた。いわく、2回目の誕生祝だそうだ。飯を作るのが一人だけだとどうしてもワンパターンになってしまうので、二人が作るようにしたほうが、変化があって楽しい。弘子は”冬のソナタ”を最近よくみているようで、その古い雰囲気の男女関係に刺激をうけているようだ。

ということで、夕食後、冬のソナタを途中からみた(ネットにあるやつ)。昔CSHLにいて、仲のよい友人だった、ジェイヤン・ソーヤン夫婦を思い出した。特に弘子はソーヤンといつもつるんでいた。FとPの区別がつかない話し方(Piano = Pfianoみたいな)とか、シーとかナーをつける愛称とか、ちょっとだけ教わった韓国語とか、とても懐かしかった。韓国でポストをとって帰ってしまったが、今はなにをやってるのだろう。いつかは彼らに会いに韓国にいかなければ。

ちなみに、冬のソナタの本もうちにあるのだが、こちらはいただけない。翻訳が悪くて、ほとんど日本語になっていないように見える。ということで、まったく読めていないので感想すらかけない。弘子によると本としての内容もいまいちのようだ。テレビを書き起こしたものなのではないか、と弘子(彼女は上巻のみ読んだ)がいっていた。もしそうならば、本としての出来が悪いのはしかたがない。
はやりもの、ということで世界の中心で愛を叫ぶ、も読んだ(義父が送ってくれた)。日本語には問題はなかったが、内容の薄いストーリーにはがっかりした。こちらもテレビでみる分には、楽しめそう(悲しめそう?)ではあるが。