Macとか、windowsとか。

Ryoさんの日 記をよんで、昔学生として木下研にいたころの、木下さんとのけんか(?) を思い出した。

木下さんは当時Macが嫌いだったが、そのころ研究室は何故かMac党が多くて、 みんなMacを使っていた。ということで、私もMacを買った。木下さんはなんと かMacを止めさせて、windowsに転向させようと、いろいろやっていたのだが、 そういうことをされると、Windows(当時はむちゃくちゃ使いにくかった)が嫌 いになってしまうのが人情というもの。私も態度を硬化させていった。木下さ んは、Windowsでリアルタイム画像処理プログラムを作ろうとしていたのだが、 私も勝手にMac でリアルタイムの画像処理プログラム(NIH imageをベースにソー スを書き換えまくったもの CREST image)を先に作ってしまった。Windowsプロジェクトは、私が去る まではストップしていたので、結果的には、macのプログラムでかなり助かっ たのだが、いくらなんでもこれはやりすぎだったと今は思う。私も若かったと いうことだろう。木下さんとのかなり険悪なムードのメールのやりとりが、今 だに残っている。押えつけると、かえって逆の効果がでる、ロメオとジュリエッ ト現象ということろだろうか。

こんな私が、今はあっさりWindowsを使ってるのだから、しょうもない。 意地以外のなんの理由も無かったことがよくわかる。

家でもこんな感じで、弘子が望むことと、反対のことをやってしまう。それで、 彼女が私にぴったりの形容を考え付いてくれた。”あまのじゃく”。あまりにぴったりし ていて、完璧に納得してしまったので、この形容が気に入ってしまった。 なにかというと、”あまのじゃくだから”で、済ましてしまっている。