演奏会とトークで思うこと

私は、チェンバロやピアノの演奏を人前でしたことが多分10-20回くらいはあるが、もちろん、よいときと悪いときがある(アマチュアレベルの話しなので、あしからず)。おちいり勝ちなわなは、観客を意識して酔ったような状態になること。それで、演技にはしってしまったり、技巧を見せたいなどと余計なことを思ってしまったりする。このようなときは、演奏は走りがちで、なにかに急かされているような、がちゃがちゃとうるさい演奏になることが多い。よいときは、自分を外からみることができ、音楽と対話することができ、1つ1つの音の響きを楽しみながら弾いている感じがする。そんなときは、観客の息遣いも音楽の一部になったかのような錯覚さえ感じる。

さて、ふと思ったのは、サイエンスのトークも同じなのではないか、ということ。ゆっくりと、できるかぎりクリアにしゃべることは、特に英語が下手な場合、重要だ。興奮してしまうと、どうしても早口になり、また自分でも何をしゃべってるのかわからないような状態になってしまう。自分を外からみて、相手が理解しやすいかどうかを常に考えながらトークをする、ということがよいトークの大事な条件のような気がする。

どうも去年、インタビューのトークは、なぜか回数を重ねる毎に悪くなっていった。ほぼ同じトークをくりかえしやるのだから、どんどん良くなってもおかしくはないはずなのだが。1つは悪い、ということが自分で分かるようになった、ということもあるのだろう。しかし、今では、「慣れ」によって、基本を忘れてしまったことによるのではないか、と思っている。最初のころは、よい意味での緊張があり、1つ1つの言葉、文章に集中していた。インタビューも後半になると、もう半分自分あきたような状態になっていて、トークも集中できず、早口になっていた気がする。あと、何回やったトークでも、トークの直前の練習は、きちんとやっておくほうがよいようだ。単に一人で声をだして1通りしゃべるだけでも、だいぶ違うと思う。