私とチェンバロ

私は小さいころからピアノをやっているので、指まわりは比較的よい。とはいってもラフマニノフとかショパンの難曲は弾けるきはしないが。高校くらいのときは、指をまわす曲芸こそがピアノだと思っていたような時期もある。音楽そのものを少しは表現できるようになったのは、大学のころにチェンバロをはじめてからだろう。私のチェンバロの先生である岡田さんにいろいろ教わったのがきっかけだと思う。

岡田さんは、慶應で入っていたサークル先輩で、プロの演奏家である。ピアノをずっとやっていたわけではないそうで、大学からチェンバロを始めてそのままプロになってしまったのだ。チェンバロは音の強弱が出せないので、表現はアーティキュレーションやルバート、微妙な呼吸などになってくる。すると大事なのは、自分の感情を表にだすことではなく、自分を少し離れたところから見て、静かな気持ちで、意図的に表現をしなければならない。普段の音がばらついてしまっては、微妙な呼吸もくそもない。チェンバロはそういうところが目立つ楽器なのだ。アマチュアの演奏は、どうしてもガチャガチャして聞こえてしまう。

また、表現はトリックを知らないとうまくいかない。バロックで大事なのは、歌うメロディではなく、和声の重なり合いであるため、和声の基本は欠かせない。私は、通奏低音の勉強もしたので、それもとても役にたった。通奏低音の和音付けは、和声学よりもずっと自由だが、たとえば平行5度、8度などの禁止事項は同じである。バロック音楽の和音は、モダンな曲に比べると、たいていはものすごく単調で、そのために7度とか9度の和音が刺激的に聞こえる、というか刺激的になるように弾かないと退屈になってしまう。

でも演奏会などで、岡田さんの演奏などを聞くと、かなわない、と思う。何が違うんだろう、というのは、ほとんどわからない世界だ。1つ1つの音の美しさではないはずなのに、それが違うように聞こえる。