ふと自分の少年時代を思い出したりする。
私は、今までほとんど受験をしたことがない。中学から慶應なので、唯一の受験は中学受験。慶應中等部を受けるとき、面接で、”尊敬する人は誰ですか”と聞かれた。もちろん、この質問は、完全に想定内。”模範解答”として、福沢諭吉、とか両親などがsuggestされていた。しかし、まあ自分の気持ちに正直なほうがよかろうと思った私は、”アインシュタイン”と答えたのであった。当時は、アインシュタインの伝記がものすごく気に入っていた。いわゆる、小学生から中学生むけの特殊相対論の解説みたいな感じになっていて、”科学ってすごい”と純粋に思っていたのだろう。そう思うと、まあ当時から研究者にはあこがれていたんだね。そういう意味で、研究者になれたのは、やっぱり幸せなのだろうと思う。
もちろん、あこがれていた研究者っていうのは、やっぱり世界を動かした人たち。でも、いつも近くにある目標に追われて、だんだん目標も小さくなる。博士論文を書いて、ポスドクになり、論文を書く。次の目標はテニュアトラック、そしてテニュア。そんで、ノーベル賞?そうやって、自分のキャリアを中心に目標を考えるようになってしまうことに慣れてしまっているが、ふとこれではいかん、と思う。志は高くもたなければ。やっぱり、あのキュリー夫妻がラジウムを何年もかけて精製して最後にラジウムの光を得たような、あんな研究をしてみたいよね。